失ってから

いつものように、就労支援の職員と話をする、
職員は、昔大企業に勤めていたらしい、
四月の私のことを知っていて、大きく変わったこと、私のように何ヵ月も休んでも、相手に自分を見つめ直すために必要な期間と話せば、分かってくれるところもあるはずと話してくれた、
もうそろそろ、動くときがきたのかもしれない、

バイト先の男子高校生は、いつも売り場が違うのにわざわざ立ち寄ってあいさつをしてくれる、すごくいい人、お手本にしたいくらいの人、
上がるときも、同じように挨拶してくれる、
今夜も同じように挨拶したけど、いつもは制服のままでくるのに私服できて、お世話になりましたと笑顔で言って去っていった、
同僚に話を聞くと、彼は今日でおしまいで、四月からは自衛隊に入隊するらしい、きっと彼ならうまくいくだろうなと、彼がいなくなる寂しさ、もっと話しておけばよかったなという後悔が出てきた、

人はどうして失ってから、その存在や価値の大切さに気づくのだろう、
そんなことを思った、
でも、一番悲しい思いをしないのは誰にも気づかれずに消えてしまうことかもしれない、
消えていなくなる前に、大切にしていくものを見極めるのは難しい、

温度調節は適度にしないといけないらしい、
知らない誰かとメールしたい、
誰かの温度に触れていたい

母のこと

祖母のお墓参りをしてきた、
命日は土曜日だったので、一日遅れてしまったが行ってきた、
祖母が亡くなってから9年経つが、発見現場には一度も行っていない、そこにも花を手向けたほうがいいんだろうな、
祖母のことを思い出していた、

木造の平屋に住んでいた祖母は、台所に近い場所にいつも座っていた、
おせんべいみたいにぺったんこになった座布団を敷いて、大学ノートにびっしりと日記を書いていた、
何を書いていたのか忘れたが、家族のこととかを書いていたのかな、

母の日記を読んだのは、小学生のときだった、
読んだ日記は、弟が障害があるとわかった後に書いたものだった、
ある日の日記に、弟が口をきけないから、親戚の人が大学病院に行ってみたらと母に話していて、私がそれを聞いて弟は病院に行っているよと話していた、という出来事があったらしい、
その後に「パズルは優しいからね、ごめんね、ごめんね、ごめんね、こんな母親で」と殴り書きで書いてあった、母は、弟が障害があると分かってから色々と苦労をしてきた、その背景がわかるから、それを読んで号泣したことを覚えている、

今母は、私が誕生日プレゼントとして送った、五年間日記に書いている、
母の日記を読んでいくと、日々の記憶が蘇る、
母は家族のことを中心に書いていた、その日にあったことを覚え書きのように書く場合などもあった、
その中に、パズルを信じることが大事と書いていた、
号泣はしないが、胸が締め付けられた、ごめんね、こんな子供で、ばかでごめんね、と書きたそうと思ったほど、自分が嫌になった、燃えてしまえば、灰になれば全てがリセットされるのかな、

たまに、自分がいない世界を想像する、
まあ、ここで日記は書いてないよね、それで文章も書いてない、こうやって書いているだけでも奇跡なんだろう、
何かを記録するという行為は、無駄にはならないと思う、
だから、今夜も思ったままに書いておく、

やっぱり、恋人は必要だ、
飲んだくれても笑ってくれるような人がいい、
今夜も寂しい、
寒いと寂しくなる、

火の鳥を読んだ、なぜか泣けた、
復活・羽衣編を読んだが、あれは漫画の域を越えている、
面白いな、
また読みたい

編み物と元議員

編み物の講習会に行ってきた、鍵あみでコサージュを作った、
まわりはみんな経験者のおばさまばかりで、仙台からきた先生に手取り足取り教えてもらい、何時間もかけてようやくできた、
編んでいる最中に、先生が、「毛糸にさわればみんな悪いことはしないのにね」とか話していて、毛糸の宗教でもつくる気なのかと思った、
あと、受講生のおばさま方は、朝ドラを見るのが楽しみらしい、

毛糸でものを編むというのは大変だ、
毛糸が割れたりしてしまったり、何段編んだか忘れたり、失敗すると違う模様になる、
中島みゆきの糸という曲があるが、毛糸も同じようなものだと思って、編んでいた、
隣のおばさまが、マフラーを編んでいて模様が違うと話していた、先生は、「失敗しても、またやりなおせるんですよ」と話ながらほどいたりして修正を教えていた、そのおばさまはもう頭がこんかわらがったと話して休憩していた、編み物と人生はよく似ていると思って話を聞いていた、

野々村元議員が、裁判所に来なくて裁判が中止になった、
ミヤネ屋では、野々村元議員の会見の映像を流していた、
全世界の人々に衝撃を与えたあの会見から、野々村さんは色々と有名になった、
それで今回、斜め上をいくような展開になったのは予想外だった、

ミヤネ屋のコメンテーターは、医者も診断書に仮病とは書かないと話していたので、それはそうだよなと思って見ていた、
野々村さんは、嫌なことを後回しにした、そのことで多大な迷惑と労力をたくさんの人にかけた、
それは変えようのない事実である、しかし、嫌なことを後回しにすると、何倍かになって、後回しにしたのが返ってくるということがわかった、
なら、私も今同じことをしていると気付いたのだ、

野々村さんは、何にお金を使っていたのかよく分からないが、やったことは犯罪である、
なぜ、このような犯行に及んだのかをちゃんと話してほしいと感じる、
野々村さんが頭をまるめたと聞いているが、あれはヅラだろう、
ヅラの謎の完成度が気になる、

世にも奇妙な物語を見ていた、野々村さんみたいな記者会見をしている場面の映像が流れた、
やっぱり、この番組は好きだ、映像や脚本もたくさんの人が書いている、1話完結だから好きだ、
映像が綺麗だなと思う作品もある、
ズンドコベロンチョは面白かった、

最近、母にもバイトを増やしてとか、働いてとか言われる、
何もできないと突っぱねる、
それでいいのだ、と自分に言い聞かせる、
首をつりたくなる、

動物愛護団体で一緒だった人が、パートに出るためにそこに行くのをやめるらしい、
7年くらいボランティアをしていたんだって、
すごく驚いた、
なんだか、寂しい

パパ好み

当時、高校一年だった、
委員会活動のため、隣町に足を伸ばした、そのついでに、隣町に住む母方の実家に、祖父母に会いにいった、
少し話して帰ろうとしたとき、祖母が追いかけてきて、しわくちゃの二千円札を私にくれた、
「もう、会えないだろうから」と祖母は少しあるくと疲れたようで、玄関のちょっとした段差に座った、まさかこれが最後になるなんて、そして、一生忘れない光景になるなんて思ってもいなかった、

9年前のこの時期、母方の祖母を病院に送り届けなければならないと言っていたのに、私が寝坊したせいで車で学校に送迎をしないといけなくなってしまい、すごく怒られたのを覚えている、
学校でテストを受けて、帰ろうと思ったら校門の前で親戚の人が迎えに来てくれた、
何がなんだか分からずに車に乗り込むと、母方の祖母がいなくなったと連絡が入り、母は私を送った後、すぐに実家に向かったので親戚の人が迎えに来てくれたそうだった、
家につくなり、同居していた父方の祖母が、電話で何やら話していた、祖母は、すぐに見つかってよかったね、と話し、親戚の人と私に、祖母が亡くなったことを告げた、

なぜだろう、なんの実感もわかなかった、この前、会ったばかりなのに、
祖母は長年、統合失調症うつ病だった、亡くなる二年くらい前は、入退院を繰り返し、母がすべて面倒を見ていた、
母以外の他の兄弟は、母の姉は男を作り、子供を三人残して大阪に行き、母の弟はサラ金から手当たり次第金を借りて、うちの祖母に肩代わりしてもらいばっくれた、
母は、色々なものを我慢して、今まで生きてきたのだった、

母が帰って来たとき、顔を見るとたくさん泣いた形跡があった、
母方の祖母は、祖父と魚をとって生活していたその川で溺死した、知り合いの漁師が見つけてくださり、警察に電話したらしい、
それから、霊安室に通されて、遺体を確認したとのこと、それから仙台で司法解剖をしてから、検死を受けて、帰ってくるとのことだった、
うちの祖母は、母の実家が子供たちの給食費も払えないほど貧乏なのを知っていたので、何も言わずに20万円渡していた、

翌日、祖母が母の実家に帰ってきた、
祖母の棺を見てしまったら、涙が込み上げた、
いつ来たのか分からないが、大阪から母の姉が私に声をかけた、新しい旦那と従兄弟もいた、
祖母の顔には傷があった、そして、頭を包帯で巻かれていた、怪我をしていたのかな、後から知ったのだが、司法解剖で血液が止まらなくて多目に包帯をまいたということだった、
知らせをどこから聞いたのか分からないが、母の弟も遅れてきていた、

お通夜が終わり、母の姉が親戚の方と話をしていた、
今は大阪にいて、二人の子供を引き取っているとのことで、新しい旦那もいて、近々宮城に挨拶しにこようと思っていた矢先に祖母が自殺をしたと話していた、
今、幸せなんだ、と母の姉が話していた、なにが幸せだ、
母方の祖母は、蒸発したあとに残された母の姉の子供の世話をしていた、祖母にとっては心労だったと思う、父方の祖母が、母方の祖母を殺したのは母の姉と弟だと溢していた、

母方の祖母は、お通夜の日の夜に母の姉の子供に乗り移ったりしていた、まだいきたくないと話していた、
お葬式後にも母の姉に乗り移り、足がいたいと話していたそうだ、どうやら、裸足で発見されていたようで、歩いていて靴が脱げたので、痛いと話していたようだった、
色々なことがあったけど、祖母を見送る時がきた、
祖母のまわりに、花をたくさんしきつめた、

火葬場に行くバスのなかで、祖母が乗っている霊柩車を見ながら泣いた、
私たちがくると、ほうじ茶とパパごのみを出してくれた、おいしい寒天を作ってくれた、いとこたちと泊まりにいったときもご飯を作ってくれた、祖母との思い出がついこの間のように思えた、
祖母の顔を最後に見た、多分、この顔は忘れることはできないだろう、
そうして、祖母は旅立った、

祖母が真っ白な骨になり、私たちと対面した、
骨が骨壺に入りきらなかった、そのときに葬儀社の方から棒で砕いて入れるとのことだったが、誰もやろうとはせず、葬儀社の方に頼んだ、
また、その音が酷いこと、酷いこと、その音を一生忘れない、
どんよりした空気に包まれた、

その後、葬儀が行われ、終わってからのバスのなかで、母が親戚の方と話していた、
親戚の方は、母方の祖母は日頃から母に助けてもらっていてありがたいと話していたこと、暗い中でも河までたどり着けたのは、仏さんが案内したんだと思う、これだけしかない寿命だったんだよ、と話していた、
母は、近頃はご飯も一生懸命に食べていたし回復してきたと思っていた、感謝していたならもっと生きていてほしかった、と泣きながら話していた、
この年の紅白で千の風になってが流れた、母は、ひっそりと泣いていた、

今でも祖母の命日近くになると、気分が落ち込む、東京にいたときは必ず命日近くには実家に帰って線香をつけていた、
自分にできることはなかったのだろうか、もし、二千円札を渡してくれていたときに話した言葉を母に話していれば、変わっていたのかもしれないと今でも思う、
たまに、祖母を夢で見る、祖母は笑っていた、
祖母や祖父の面倒を一生懸命に見てきた母、それを見てきたから私も母に何かあったらと思うと、あんまり遠くには行きたくない、

祖母の死の数年後、震災が起き、母の実家は全壊した、
祖父は老人ホームへ行き、そこで息を引き取った、死因は老衰ということになっているようだが、きっと祖母が迎えに来てくれたんだと思う、
その後、母は実家のあった土地を売り払い、母はもう帰る場所がなくなった、
そして、私たちの祖父母の家もなくなった、

一ヶ月前に、隣人が自殺した、首吊りらしい、
天気のよい日曜日で、穏やかな空気を救急車と消防車のサイレンが破った、
その人は、父の一つ下で、何年も家に引きこもっていたらしい、
日曜日に自殺をはかるのは、きっと、誰かに早く見つけてほしかったんだと思う、

自殺って、周りの人をこんなにも苦しくさせるものなんだな、
あるデータによると、一人が自殺すると、周辺の六人に影響を及ぼすようになるらしい、
そして、私は金銭的にルーズな人がダメになった、
元カレと別れた理由も、これに絡む、

年々、嫌な大人にどんどん近づいてくる、それはなぜだろう、
あの世にいって、祖母と会ったら、パパ好みとほうじ茶をすすりながら、祖母が死んでどれだけ悲しかったか、それからの母のことなどを話そうと思う、
あと、見てきた世界のこともたくさん話そうと思う、
また会える日が来ると信じて

リア充ホイホイ

先日、カウンセリングに行ってきた、
色々と話した、やっぱり、今週はたくさんのことがあったから、話すことがメインだった、
父が大型の免許をとりにいくことや、母が仕事を増やそうとしていることなどを話した、
カウンセラーの方からは、次までに一歩踏み出すことと、私はまわりが見えなくなるときがあるから、一言気遣う言葉を話すことなどを課題として出された、

空白期間が八ヶ月もあるから、どう説明すれば良いのだろうかと頭を悩ませていると、今のご時世では普通とのこと、どうしようもないブラックしかいけないのではないかという不安もある、ただ友人が話していたように、日本はブラック企業ばかりだと話していたので、そうなのかなとも思う、
そんなものかどうかは分からないけど、悩んでいても始まらないと感じるようになった、
バイト先では、ケーキを売ると同時に他の売り場を手伝うことをしている、この環境でできているだけでも感謝しないといけない、環境を作っていただいている上の人にも感謝しなければいけない、
一歩ずつ確実に、動き出さないといけないと思わせてくれる、この日々はあたたかくて、いとおしい、たまには落ち込む、しかし、底にある不安からは抜け出せない、だから、動き出さないとと感じる、底の不安が解消されても、この日々のような時間が流れていますように、

光のページェントという欅に電球をつけて、景色を楽しむという、リア充ホイホイなイベントがやってくる、
リア充リア充であることを気付いていない、それは願ってもいないチャンスだ、
浮かれているリア充どもを爆発するためには、爆発装置をつけて、一気にやるほうがきれいだろう、爆発しても、リア充はラブホで愛を語り合うんだろうな、爆発では生ぬるい、退散しろ、
まあ、リア充がいなくなった街中は、お通夜みたいになるけどね、

そろそろ、季節がめぐる、
その前に、もう一度だけさよならを言う、
だから、待っていて、
この苦しみから解放されますように

ケーキ売りの腐女子

ずっと泣いたら、お岩さんみたいに目が腫れた、夕方まで腫れは引かずに夜にようやくひいた、
午前中、ある人の名刺を探した、ある人とは前の職場でお世話になった、理事の連絡先が知りたかった、それで、前の職場であったこと全てちくってやろうと思って探したけど、見つからなかった、
午後には、福島の被爆圏内の牛のノンフィクションを見た、安楽死を選ぶ農家が多いなかで、そのような選択をしなかった農家、しかし、病気になった牛が安楽死をさせられていたのを見て、農家の人が泣いていた、それとは逆に牛は安らかに眠っていた、なんだか悲しくなった、それに比べて、私の今の悩みは、牛や農家の人の十分の一かもしれないとさえ考えた、牛が死んでいく姿は悲しかった、
コメントで、私を賢いと書き込む人がいたが、私は賢くない、賢かったら就職している、そして、私は相当運が悪いのかもしらないけど、確かなことは、間違った思考と行動をしているはず、

大学時代の友人と連絡した、
大学時代の友人は、私の話を聞いてくれた、友人は大丈夫だぁ、生きていればなんとかなるよと言ってくれた、その友人は日記にも度々登場しているが、うつ病で大学をやめて、放送大学に編入しているという人だ、
その友人が言うと、妙に説得力があるからすごい、

バイトでは、ケーキやかまぼこやらの販売をしている、
それで、ケーキやらかまぼこがどうしても賞味期間がぎりぎりで余ってしまうことがある、そんなときは社内販売に回す、その商品が売れないときや量が多いとき、みんなに営業、いや、行商しないといけない、中々なコミュニケーションスキルを要求され、コミュ障にはキツイ業務である、自分で買っていくことも多々ある、お腹もすくからいいんだけどね、
今夜は、七五三が週末にあったためケーキがたくさんあった、原宿の竹下通りにあるアクセサリーのお店で、大声で客引きしていた店員さんばりに宣伝した、
「限定」、「本日限り」というワードを引き出すも、少ししか売れなかった、

それで、大量のケーキを社内販売にもっていくのだが、社内用の冷蔵庫に当然入らない、
近くにいる人に声をかけて、行商した、
ケーキ売りの腐女子だ、
中には、ケーキがどれくらい安くなったか、どんなケーキかを話してほしいなどという質問も出た、

他の部門の人が、箱のケーキを二個買ってくれた、私ももちろん買った、
ようやく、ケーキ全てを冷蔵庫にいれることができたから、よかった、
今夜はすごく忙しくて、大変だった、
色々と先輩方に言われた業務をしていたら、こんな時間になっていたわ、という感じだった、タイムマネージメントがいけないのか、

少し寂しい、
そして、悲しい、
朝は弱いから、嫌い、
そんな君に勝てたら、自信がつくのかな、みんなどうやっておきるのだろう

泣き晴らす

父が仕事を辞めた、アル中だから、午前中から酒を飲んでいる、父はずっと同じ事を延々と繰り返し話して、厄介者にされている、
父と私は、母から妹は大学受験を控えているから、父が仕事を辞めたことを言わないようにと言われていたのにべろべろに酔っぱらいながらはなてしまった、
大層母は怒っていた、そして、家の雰囲気は最悪だ、家にいたくないほどだ、

妹に、お姉ちゃんはこれからどうするのと言われた、うちは今大変な状況で、社会人なら自分の食いぶちだけでも稼ぐものと言われた、母からは姉のようにはならないようにと言われているのかもしれない、
この時の感情は、小さい頃、家の手伝いをしようと思ってテレビを見ていたのに、母からやりなさいと咎められて、やろうと思っていた気持ちが萎えて、絶対やらないと思って反発するような気持ちになった、
姉のプライドとかもないから、なんとも感じなかったが、時間が経過するにつれて情けなさが色濃くなっていった、
もう、何もかもが嫌になった、いっそのことどこかに行って、消息不明にでもなったらいいのかなと、社会から切り離されたみたいなものだから、どこも誰ももういらないのかなと、でも、家族は見放せない、

母と話をした、母は父の話を極力聞くようにしていたがお酒を飲んでいて話にならずダメだったこと、父は誰かに就職先をお膳立てしてほしいこと、自動車学校で免許をとろうと思っているが、窓口に行けないこと、そして、免許を取った後のことはあまり考えていないことを話していた、あと、
妹に言われたことにかんしても話をしたら、妹は度々、お姉ちゃんはなんでアルバイトなの、普通の仕事についたらいいのにと、母に言っているらしい、母からは、できない人にはそう言わないよと言われた、
以前の日記にも書いたが、父は弟の病院の付き添いとかで頻繁に休んでしまい、出世ができなくなった、なら、休まなければよかったのに、もっと公的なサービスを使えばよかったのに、

あまりにも辛くて、話を電話で聞いてもらった、
最初に出た人は、雇用などにも詳しい人みたいで、あなたみたいな人は**とかでしか雇ってもらえない、それから先を考えてみたら、生きるか働くかという選択肢になっていると言われた、私が相談されてもそう話すと思う、
二人目は、明るい声の関西弁のおばちゃんだった、その人には泣きながら今の状況を話した、そのおばちゃんも先程の人と同じように**業界とかで雇ってもらって一時的にそこにいるとかは??と言ってくれた、
それから、おばちゃんの身の上話をしてもらった、おばちゃんの家は父親がアル中で、母親が蒸発したり大変で、17歳から働いていたそうだ、20歳までに五回仕事を変えて、パソコン関係のお仕事につき、上まで登り詰めたできる人だった、それからお話を聞く大役をやっているとのこと、妹はまた社会を見ていないから簡単にそう言えるの、手に職をつけなさい、ペットボトルに半分の水が入っていたら、まだ半分あると思うか、もう半分しかないと思うかはその人次第よ、思うという字は、想う、という字もある、思っていれば必ず現実になると教えてくれた、またお話ができればいいねと言われて会話を終えた、

その後、大学時代の友人と電話した、
大泣きしながら電話をかけてくる私に驚きながら話を聞いていた、
友人は、精神科から退院してきたばかりだったそうだ、
本当に泣いても、落ち込んでも、話を聞いてくれる友人がいるだけで、ありがたい、

今、すごく辛い、誰か頼れる人が身近にいればと思うときもある、元カレがいてくれたらと夢見ることもある、けど、元カレの人生に私はいてはいけない人、今の状況を元カノに話されても迷惑の極みである、
自分の甘さが招いたことだろうと、コメントする人もいると思う、
しかし、この数ヶ月間は自分を見つめ直すいい機会だと、いつの日か言えるのだろうかと不安もある、
もう、変なプライドなんていらないよ、

明るく過ごしていれば、誰かが見ていてくれるって信じて、
なんだか、今、書いていてマイナス思考でいることが馬鹿馬鹿しくなってきた、
説明すると、身近な例だと、マイナス思考というクレーマーが、プラス思考という人の良さそうな清掃のおばさんにガミガミとクレームをつけて、おばさんがノイローゼになって弱っていくのを想像したから、
おばさんが図太くて、すみませんー!と一言添えて改善点を直して、笑顔で掃除をしていたらどうだろうか、きっと社会人に求められるのはそういうことだと思う、

寂しくて、ウサギのように目を赤くして、泣き晴らす夜、
そんなメンヘラです、
やっぱり、自分はダサいな、ダサくない人は、もっと余裕があり客観的に物事を見れているからね、
ダサくない人を目標にしようか