生き方

おひさしぶりです、いつものように自己嫌悪に陥っています、
最近、カウンセラーの先生に宿題を出された、
今後自分がどう生きていきたいかという宿題、
ネットサーフィンや、本を読んでも生き方が見えてこない、

しかしね、わかったことがある、
私は自分の人生を歩むのが怖い、というよりも、自分の人生を誰かの人生に重ねていたのだ、つまり、人生と自分から逃げていたのだ、
それで、今向き合っている、
よしもとばななの短編集の中に、洋食屋の娘が祖母のオムライスの話をするシーンがある、祖母のオムライスを食べたくて来ているお客様もいて、祖母とオムライスは食べた人の人生の背景になっているようだという内容がある、これを読んだ中学生の私は、なんて素敵なんだと感心した、

そして、時は流れ、私は誰かの人生の背景になりたいと学校を卒業したころ思っていた、
だけど、大学の先生が背景だと暑苦しいから、せめて麓に立ちなさいと話していた、
今、私は誰かの人生の背景または麓に立てているのだろうか、と考える、

誰かのために生きると強くなれると聞いたことがある、
確かに強くなれるだろう、
だけど、「誰か」はどう思うのだろうか、
そう考えているうちに、友人を思い出した、

大学時代の友人神山(仮名)は、鬱であった、
神山は、毎年東大に何人か進学する高校に入ったが、成績が急降下、それを知った両親は殴る蹴るの暴行を加え、神山は鬱になった、
そんな神山と私は仲良くなり、同じ授業をとったり、三軒茶屋でのみ歩き、吉田拓郎をきき、初音ミクをきいたり、時には大喧嘩をしたりと、あほな学生時代を謳歌していた、
でもね、神山、鬱が悪化して大学に行けなくなったんだ、一緒にとっていた授業も出れなくなったりしてきたんだ、

ある日、些細なことで大喧嘩した、
それきっかけで、私はあることに気がついた、
私は神山のために、元気になってほしいから一緒にいたり、授業で出る試験範囲を教えたりしていた、私といることで元気になって、大学卒業してほしいって思ってた、
それは、私のエゴだったんだ、神山の気持ちを無視していたことに気がついた、

今、私は両親が心配という名目で実家にいる、
そんで家事をしたり、お手伝いをしている、
しかし、それはエゴだ、
両親はいち早く私の自立を望んでいる、だけど、私は両親が心配、という建前で、本音は実家で寄生していたい、

ダメダメだってことは分かるけど、あと一年くらいは自分を見つめていたい、
世間は厳しいから、そんなのは言い訳と一蹴される、
そのギャップが私を悩ませる、
世間は厳しい、

私はどう生きていけばいいのだろうか、どう在りたいのか