お墓

前の職場の出来事を、誰かに話続けても、話したいという欲望は枯渇しない、
それだけ、自分は悪くないんですって思いたいだけなのか、それとも相当ショックだったのか分からないけど、
また働くことを躊躇しているのは事実だ、
最近、誰かに話しても枯渇しない原因がわかった、私は可哀想にって誰かにかまってほしいし、同情がほしいんだと思った、

前の職場での話で、別団体の新しく入ってきた人が私よりもひとつ上の方だった、
その人が仕事でちょっとミスをしたらしい、
先輩方は、その人の話をあげて、ゆとり世代だからね、とか、かまってやっているだけありがたいと思えとか話していた、
それを見ていて、自分もこう言われているんだなって考えたし、こういうのが老害になっていくんだなって思った、

平安時代から、今の若いものはと言われてきていて、和歌でもそれが残っている、
大学のサークルでも同じことがあるから、何とも言えない、
カウンセラーの方が、損得は考えずに魂で考えろと話をしていたことを思い出した、
先程の話に当てはめれば、ゆとり世代だから使えないとか言う先輩に対して、好きでゆとり教育を受けたわけじゃないって反論したら、その先輩と同じレベルになるってことで、損するよなー、

私、こんな経験したからもう無理だよーっていうのと、こんな経験したけど前を向いてがんばりますだったら、後者だよな、
そんな考えにならなくてはいけないのだ、まわりの人は、アルバイトを続けて自信がついたら就活しなさいと言ってくれるけど、それに甘えてはいけないのだ、
母はどこでもいいから就職しろと言う、
まだどう生きていくかは決めていないけど、

前みたいに、死にたいと言わなくなった、
死にたいことは死にたいけど、死ぬという表現ではなく、土に還りたいと思うようになった、
それで花でも咲かせられたら嬉しい、海も捨てがたい、
お墓には入りたくない、ばらまいてほしい、

人肌が恋しい、
ずっと続いてほしいものは全然続かなくて、嫌なことはずっと続く、どうしてだろうね、
楽しい時間が恐怖になって、楽しめなくなったりする、
今を生きることは、中々難しい