泣き晴らす

父が仕事を辞めた、アル中だから、午前中から酒を飲んでいる、父はずっと同じ事を延々と繰り返し話して、厄介者にされている、
父と私は、母から妹は大学受験を控えているから、父が仕事を辞めたことを言わないようにと言われていたのにべろべろに酔っぱらいながらはなてしまった、
大層母は怒っていた、そして、家の雰囲気は最悪だ、家にいたくないほどだ、

妹に、お姉ちゃんはこれからどうするのと言われた、うちは今大変な状況で、社会人なら自分の食いぶちだけでも稼ぐものと言われた、母からは姉のようにはならないようにと言われているのかもしれない、
この時の感情は、小さい頃、家の手伝いをしようと思ってテレビを見ていたのに、母からやりなさいと咎められて、やろうと思っていた気持ちが萎えて、絶対やらないと思って反発するような気持ちになった、
姉のプライドとかもないから、なんとも感じなかったが、時間が経過するにつれて情けなさが色濃くなっていった、
もう、何もかもが嫌になった、いっそのことどこかに行って、消息不明にでもなったらいいのかなと、社会から切り離されたみたいなものだから、どこも誰ももういらないのかなと、でも、家族は見放せない、

母と話をした、母は父の話を極力聞くようにしていたがお酒を飲んでいて話にならずダメだったこと、父は誰かに就職先をお膳立てしてほしいこと、自動車学校で免許をとろうと思っているが、窓口に行けないこと、そして、免許を取った後のことはあまり考えていないことを話していた、あと、
妹に言われたことにかんしても話をしたら、妹は度々、お姉ちゃんはなんでアルバイトなの、普通の仕事についたらいいのにと、母に言っているらしい、母からは、できない人にはそう言わないよと言われた、
以前の日記にも書いたが、父は弟の病院の付き添いとかで頻繁に休んでしまい、出世ができなくなった、なら、休まなければよかったのに、もっと公的なサービスを使えばよかったのに、

あまりにも辛くて、話を電話で聞いてもらった、
最初に出た人は、雇用などにも詳しい人みたいで、あなたみたいな人は**とかでしか雇ってもらえない、それから先を考えてみたら、生きるか働くかという選択肢になっていると言われた、私が相談されてもそう話すと思う、
二人目は、明るい声の関西弁のおばちゃんだった、その人には泣きながら今の状況を話した、そのおばちゃんも先程の人と同じように**業界とかで雇ってもらって一時的にそこにいるとかは??と言ってくれた、
それから、おばちゃんの身の上話をしてもらった、おばちゃんの家は父親がアル中で、母親が蒸発したり大変で、17歳から働いていたそうだ、20歳までに五回仕事を変えて、パソコン関係のお仕事につき、上まで登り詰めたできる人だった、それからお話を聞く大役をやっているとのこと、妹はまた社会を見ていないから簡単にそう言えるの、手に職をつけなさい、ペットボトルに半分の水が入っていたら、まだ半分あると思うか、もう半分しかないと思うかはその人次第よ、思うという字は、想う、という字もある、思っていれば必ず現実になると教えてくれた、またお話ができればいいねと言われて会話を終えた、

その後、大学時代の友人と電話した、
大泣きしながら電話をかけてくる私に驚きながら話を聞いていた、
友人は、精神科から退院してきたばかりだったそうだ、
本当に泣いても、落ち込んでも、話を聞いてくれる友人がいるだけで、ありがたい、

今、すごく辛い、誰か頼れる人が身近にいればと思うときもある、元カレがいてくれたらと夢見ることもある、けど、元カレの人生に私はいてはいけない人、今の状況を元カノに話されても迷惑の極みである、
自分の甘さが招いたことだろうと、コメントする人もいると思う、
しかし、この数ヶ月間は自分を見つめ直すいい機会だと、いつの日か言えるのだろうかと不安もある、
もう、変なプライドなんていらないよ、

明るく過ごしていれば、誰かが見ていてくれるって信じて、
なんだか、今、書いていてマイナス思考でいることが馬鹿馬鹿しくなってきた、
説明すると、身近な例だと、マイナス思考というクレーマーが、プラス思考という人の良さそうな清掃のおばさんにガミガミとクレームをつけて、おばさんがノイローゼになって弱っていくのを想像したから、
おばさんが図太くて、すみませんー!と一言添えて改善点を直して、笑顔で掃除をしていたらどうだろうか、きっと社会人に求められるのはそういうことだと思う、

寂しくて、ウサギのように目を赤くして、泣き晴らす夜、
そんなメンヘラです、
やっぱり、自分はダサいな、ダサくない人は、もっと余裕があり客観的に物事を見れているからね、
ダサくない人を目標にしようか