パパ好み

当時、高校一年だった、
委員会活動のため、隣町に足を伸ばした、そのついでに、隣町に住む母方の実家に、祖父母に会いにいった、
少し話して帰ろうとしたとき、祖母が追いかけてきて、しわくちゃの二千円札を私にくれた、
「もう、会えないだろうから」と祖母は少しあるくと疲れたようで、玄関のちょっとした段差に座った、まさかこれが最後になるなんて、そして、一生忘れない光景になるなんて思ってもいなかった、

9年前のこの時期、母方の祖母を病院に送り届けなければならないと言っていたのに、私が寝坊したせいで車で学校に送迎をしないといけなくなってしまい、すごく怒られたのを覚えている、
学校でテストを受けて、帰ろうと思ったら校門の前で親戚の人が迎えに来てくれた、
何がなんだか分からずに車に乗り込むと、母方の祖母がいなくなったと連絡が入り、母は私を送った後、すぐに実家に向かったので親戚の人が迎えに来てくれたそうだった、
家につくなり、同居していた父方の祖母が、電話で何やら話していた、祖母は、すぐに見つかってよかったね、と話し、親戚の人と私に、祖母が亡くなったことを告げた、

なぜだろう、なんの実感もわかなかった、この前、会ったばかりなのに、
祖母は長年、統合失調症うつ病だった、亡くなる二年くらい前は、入退院を繰り返し、母がすべて面倒を見ていた、
母以外の他の兄弟は、母の姉は男を作り、子供を三人残して大阪に行き、母の弟はサラ金から手当たり次第金を借りて、うちの祖母に肩代わりしてもらいばっくれた、
母は、色々なものを我慢して、今まで生きてきたのだった、

母が帰って来たとき、顔を見るとたくさん泣いた形跡があった、
母方の祖母は、祖父と魚をとって生活していたその川で溺死した、知り合いの漁師が見つけてくださり、警察に電話したらしい、
それから、霊安室に通されて、遺体を確認したとのこと、それから仙台で司法解剖をしてから、検死を受けて、帰ってくるとのことだった、
うちの祖母は、母の実家が子供たちの給食費も払えないほど貧乏なのを知っていたので、何も言わずに20万円渡していた、

翌日、祖母が母の実家に帰ってきた、
祖母の棺を見てしまったら、涙が込み上げた、
いつ来たのか分からないが、大阪から母の姉が私に声をかけた、新しい旦那と従兄弟もいた、
祖母の顔には傷があった、そして、頭を包帯で巻かれていた、怪我をしていたのかな、後から知ったのだが、司法解剖で血液が止まらなくて多目に包帯をまいたということだった、
知らせをどこから聞いたのか分からないが、母の弟も遅れてきていた、

お通夜が終わり、母の姉が親戚の方と話をしていた、
今は大阪にいて、二人の子供を引き取っているとのことで、新しい旦那もいて、近々宮城に挨拶しにこようと思っていた矢先に祖母が自殺をしたと話していた、
今、幸せなんだ、と母の姉が話していた、なにが幸せだ、
母方の祖母は、蒸発したあとに残された母の姉の子供の世話をしていた、祖母にとっては心労だったと思う、父方の祖母が、母方の祖母を殺したのは母の姉と弟だと溢していた、

母方の祖母は、お通夜の日の夜に母の姉の子供に乗り移ったりしていた、まだいきたくないと話していた、
お葬式後にも母の姉に乗り移り、足がいたいと話していたそうだ、どうやら、裸足で発見されていたようで、歩いていて靴が脱げたので、痛いと話していたようだった、
色々なことがあったけど、祖母を見送る時がきた、
祖母のまわりに、花をたくさんしきつめた、

火葬場に行くバスのなかで、祖母が乗っている霊柩車を見ながら泣いた、
私たちがくると、ほうじ茶とパパごのみを出してくれた、おいしい寒天を作ってくれた、いとこたちと泊まりにいったときもご飯を作ってくれた、祖母との思い出がついこの間のように思えた、
祖母の顔を最後に見た、多分、この顔は忘れることはできないだろう、
そうして、祖母は旅立った、

祖母が真っ白な骨になり、私たちと対面した、
骨が骨壺に入りきらなかった、そのときに葬儀社の方から棒で砕いて入れるとのことだったが、誰もやろうとはせず、葬儀社の方に頼んだ、
また、その音が酷いこと、酷いこと、その音を一生忘れない、
どんよりした空気に包まれた、

その後、葬儀が行われ、終わってからのバスのなかで、母が親戚の方と話していた、
親戚の方は、母方の祖母は日頃から母に助けてもらっていてありがたいと話していたこと、暗い中でも河までたどり着けたのは、仏さんが案内したんだと思う、これだけしかない寿命だったんだよ、と話していた、
母は、近頃はご飯も一生懸命に食べていたし回復してきたと思っていた、感謝していたならもっと生きていてほしかった、と泣きながら話していた、
この年の紅白で千の風になってが流れた、母は、ひっそりと泣いていた、

今でも祖母の命日近くになると、気分が落ち込む、東京にいたときは必ず命日近くには実家に帰って線香をつけていた、
自分にできることはなかったのだろうか、もし、二千円札を渡してくれていたときに話した言葉を母に話していれば、変わっていたのかもしれないと今でも思う、
たまに、祖母を夢で見る、祖母は笑っていた、
祖母や祖父の面倒を一生懸命に見てきた母、それを見てきたから私も母に何かあったらと思うと、あんまり遠くには行きたくない、

祖母の死の数年後、震災が起き、母の実家は全壊した、
祖父は老人ホームへ行き、そこで息を引き取った、死因は老衰ということになっているようだが、きっと祖母が迎えに来てくれたんだと思う、
その後、母は実家のあった土地を売り払い、母はもう帰る場所がなくなった、
そして、私たちの祖父母の家もなくなった、

一ヶ月前に、隣人が自殺した、首吊りらしい、
天気のよい日曜日で、穏やかな空気を救急車と消防車のサイレンが破った、
その人は、父の一つ下で、何年も家に引きこもっていたらしい、
日曜日に自殺をはかるのは、きっと、誰かに早く見つけてほしかったんだと思う、

自殺って、周りの人をこんなにも苦しくさせるものなんだな、
あるデータによると、一人が自殺すると、周辺の六人に影響を及ぼすようになるらしい、
そして、私は金銭的にルーズな人がダメになった、
元カレと別れた理由も、これに絡む、

年々、嫌な大人にどんどん近づいてくる、それはなぜだろう、
あの世にいって、祖母と会ったら、パパ好みとほうじ茶をすすりながら、祖母が死んでどれだけ悲しかったか、それからの母のことなどを話そうと思う、
あと、見てきた世界のこともたくさん話そうと思う、
また会える日が来ると信じて