春画展

夜行バスに乗って、東京まで行ってきた、
池袋で降りて、ご飯を食べて、歩いて春画展を見にイってきた、見にイきたいと思っていたが、思えば叶うのですね、春画展は混雑していて人に酔った、それから、目白から高田馬場駅まで歩いた、
面接では、私がしていた仕事を知っている人がいた、それで前の職場のことを少しだけ話して、不満のようなことを口にしてしまった、また、次の求人を見てみよう、
そして、なんだか宮城から離れると思うとすごく不安になって泣き出しそうになった、

夜行バスで東京から帰ると、母に東京じゃないとダメなのかと言われた、
そういうわけではないと話すと、背伸びして東京にいくよりも、宮城で探したほうがいいのではないかと話してきた、
確かにそれは思うが、母は私が宮城にいてほしいと思っているようにしか見えない、
私は、それにいつも縛り付けられる、母や家族に賛成されないと、上手くいかないみたいなジンクスを勝手に自分の中で作って、それに沿って行動してきた、

ある人が言っていた、マイナス思考の人からは離れたほうがいいと、
その人に質問したい、それが母でも離れたほうがいいのですか、と、
私が実家というか、家族が大切だと思っているけど、
それがなくなった後を考えると、自分も親離れしていかないとと思う、

いきつけのお店に行ってきた、
大学時代から通っている床屋で、顔そりをする、
そこのおかみさんと色々話した、おかみさんの子供は二人いて、下の子が中高一貫校に通っていてPTAをやっていたらしい、その時に意見をばんばん言っていたら、見るからに教育ママみたいな人が、「あなたの職は何」と言ってきて、床屋とこたえたら、床屋にしてはよくしゃべるわね、と言われたらしい、
そこで、おかみさんはこう話していた「私、床屋として誇りがあるの、床屋しかできないし、できないと食べていけないでしょ、だけど、これだけは言える、その教育ママよりは自立していて幸せだわ、あの教育ママはどうなっているのかしら」、
そしてまた続けて「私、自分が幸せだと思えて死ねたらいいの、死ぬときに幸せな人生だったと思えたらそれでいいの」、その言葉がずしりと鈍いボディーブローのように私を打った、きっと人の評価とかまだすごく気にしているんだという証拠だった、
どんな仕事でもプロ意識をもっていれば誰かが見ていてくれるのかな、帰り際に「面接がんばれ、もしダメでも、そことは縁がなかったんだわ、見るめがないわ、と思って頑張ってね」と言われた、なんだか元気がでた、

まずは、親離れしないとな、
早く起きないと