おじさんとカンボジア

バイトでがみがみいうばばあに腹が立ったり、質問したのにこたえてくれなかったこととかあって、
それに関して、ムカついたり、自分は正論を振りかざして、これはいじめだとか、そう被害者になることで正当化しているのが嫌になった、
そのばばあは、先輩からはいい人ではないと言われているけどね、それに気付かないばばあも中々だ、
お客さんに顔を覚えられた、色々な意味で複雑だ、

入社試験の結果はだめだった、
今回のテーマは挑戦だったので、ダメで元々と思っていたから、それはいい、
それに、急に現実的な問題やらを考えたら、宮城を離れるのが怖くなってしまったので、連絡がきたらどうしようと思っていたくらいだ、
少しほっとしている、

この前の日曜日、近所に住む親戚のおじさんが、父の様子を見に家に来た、
おじさんはお話が上手い、父とは正反対だ、そんなおじさんも11月に仕事をやめなくてはいけなくなり、ハロワやセミナーに通いつめて積極的に動き、就職活動の末に、最近水産会社で働き始めた、今はほとんどの水産加工を扱うところではオートメーション化がすすみ、機械が全部やってくれるらしいが、おじさんがいる会社はアナログなところで魚を数えてばんじゅうにつめたりしているらしい、しかし、そんな中でもおじさんは、「俺は楽しんでやっているんだ」と話していた、
おじさんは、父のためにわざわざ自分の履歴書や資料をもってきてくれ、色々なことを指導していた、

おじさんは父のことを思って、「一家の主はお金をとってこないとだめ」、「神様は諦めない人を見捨てない」、「ネガティブになってはだめだ」、「昼間から酒を飲むのはいけない、俺との約束で夕方5時以降でないと飲まないと約束しろ」と話しており、一生懸命に父に話していた、
おじさんに、家事なども積極的にしろなどとも言われていた、
そのおじさんは、59歳で夢があるという、65歳になったら、カンボジアで地雷の撤去をしにいきたいとのことだった、
そんな人が親戚にいて同じ時代を生きている、不思議な縁だ、

父は、翌日からパソコンの勉強をしたり少しだけ動きは見られた、
ゆっくりでも、動けたらいいのだと感じた、
だから、私もゆっくりでも動いていこう、
おじさんもゆっくりを積み重ねてきたから、また働けるようになったのだろう、

自分を嫌な気持ちにさせるやつらのために、ムカつくのはばからしくなってきた、
ムカついたら思う壺だ、
壺は高い、だから買わない、
もう思う壺にはならない、あと、もう他人には期待しない

号泣

地元の図書館に火の鳥がないので、隣町の図書館までいく、
高校時代にも行ったことがあり、嶽本のばらのハピネスを手にとったことを思い出した、
高校生のときの自分に会えるような気がして、その本を探した、
探して手にとってみたけど、高校生のときの自分には会えなかった、

火の鳥の一巻を読み終えて、井上雄彦のリアルを読む、
一番好きなのは13巻だ、悪役レスラーに焦点をあてて、さらには、そのファンにまで話がつながっているし、最後の方には泣ける、
14巻を読んでいなかったので、立ち読みしたら、その悪役レスラーの人が、同じリハビリをしているファンにこんなことを話すんです、
「これ以上傷付くのが怖いから、変わらないことを選んでいるんだろう」

確かそんな感じの台詞だった、その台詞をみたときに、号泣した、
変わりたくても変われないじゃなくて、私自身がどこかで変わることを恐れていると知った、
ファンはぎくりとした表情をしていた、
すごく小さなコマだったが、号泣した、

もはや、ハロワの求人検索が趣味になってきた、
お風呂に入りながらぼんやりと思う、
就活ってなんのためにするんだろう、
そんなことを考えている時点で、他の人とは違うのかもしれないが、希望した企業に入れても、幸せになれるのだろうかと思ってしまった、

私の友達と、大学時代にセミナーに参加した、
友人は、セミナーを途中で抜け出して、アンケートにこんなことを書いていた、
「みんな同じ服を着て、同じように頷くのが気持ち悪かったです」、
大半の就活生はこのコメントを見て、バカかと思うだろう、私も、そう思う人間だが隠していたが、なんとなく企業側にそれを見破られたのかもしれない、だから、なんとなく、このまま普通の就活をしていいのかと疑問に思ってきた、

そんなことを思う時点で、一般社会からは拒絶されるんだろうな、
床屋のおかみさんみたいに、ずっと現役で仕事を続けていられるのは理想ではあるな、
ずっと仕事とかのことばかり考えすぎて、シンプルにものが考えられなくなるから、何も考えないほうがいいのかな、それか派遣から仕事を始めるとかも視野にいれたほうがいいのかな、
試験もなんにもない猫になりたい

泥酔

就労支援団体から電話があった、
実は昨日も電話がきていたが留守電もなし、前はあったのに、
だから、誰から来ていたか分からなくて、そのままにしていたら、就労支援団体からだった、で、そこからの対応がなんか嫉妬のようだった、
久々に愚直を吐きます、

まず、ずっとムッとしていた担当の支援員から面接に行ってきた報告とやらがまだだったので連絡をしたとのこと、報告しなさいと言われていないけど、普通は報告くらいするものだろうなとは思った、
それで、面接のことを聞かれて、面接を終えての感想を聞かれて、面接の練習をしておけばよかったなと思いましたと言ったら、こちら側もそう思っていましたと、ぴしゃりと話していた、
それから、家庭で宮城から離れることや、住む家のこと等を話された、それと、12月10日までに決めるとか急に言ってくる社長だからいつまでに来てくださいとか急に言われたりするかもよ、と中々強い口調で話してきた、
あと、その支援員は、自分は面談する人をある程度笑顔にすることができるが、あなたは笑顔がないから私もつられて笑顔で話さなくなる、何気ない表情(唇を噛んだりする、口を尖らせたりする)もう一度鏡で自分の顔を見て、他のスタッフにも笑顔でと言われていたけど、一緒に働きたいと思えるかどうかを確認してみて、と強い口調で言われた、それから、金曜日にこちらに来たときに、お忙しい中ありがとうございましたと言って、帰って行ったが、あれはどういう意味なのかと言われた、正直挨拶みたいな意味で話したから、深い意味はない、一応書類を手をとめて見てくださったからとこたえたら、その言葉の意味が分からなかったと言われた、

それは、支援員のプロ意識の問題だろうと思った、
今回の場合、私の落ち度としては、お世話になっている就労支援の人に、その会社を受けるとは話していなかった、それでコピー機とかアドバイスとかされたら、あまり良くない気持ちにはなるだろう、そこもちゃんと考えられなかった私が悪い、
書類選考が通過したときも、その支援員は、私なら交通費が無駄になると思うから仙台あたりしか受けない等とマイナスなことしか言わなかった、
元々、その人は他の人にもすごく口はキツイ人ではあったが、ここまで言われると私のことが嫌いなのか、受かれば東京に行くことがそんなに妬ましいのか、はたまた私のことを思っていてキツイ口調で話したのか、そのどれなのかが分からないけど、そういう就労支援団体とかは、足りない部分をサポートするために支援員がいて、面接などの練習とかも一応すすめるのではないかという認識だった、

この出来事で私は就職をあきらめましたとか、あすの朝、昨日はこんなことを話していましたが、あなたは私を傷つけました、だから謝れとか話したりするのは、負けだと思うのでやらない、
カウンセラーの先生は、色々と言ってくる人には言わせておけばいい、それを流して、こんなことしか言えないのかと可哀想にと思えばいいのと、そうすれば心労もなくなると、
そのほうが疲れないし、言い争いをして就労支援団体でのプログラムにも行きにくくなくなる、
ただ、負けず嫌いの私ですから、当然チクりたくなるわけです、だから、その就労支援団体の偉い人にはこの一件は話しておこうか検討している、

一緒に働きたくない人でぐぐったら、色々な記事を見ていくと、笑顔がない人と書かれてあった、その人がそう話していたのもすこし頷けた、
その支援員は、一般企業で働いたことがないみたいなので、信用していない部分がありそこを見透かされたのかもと思っている、
でもね、話を聞いてもらった人には、前の職場と今の出来事が同じように話しているらしい、前の職場でも、むかつくことがあったらこんな感じで書いていた、きっと私は人よりも無愛想で笑顔がないから、っていうのも人間関係をこじらす一つの原因なんだろうと思った、

辛口でお話をしてくれる人がいることは財産になると思うが、辛口すぎてもだめだ、
今回の言葉の数々は、私を傷つけたいだけにしか聞こえないと、ゆとりは思ってしまいました、
ただ、支援員のすごいとこは、こんな言葉を恥ずかしげもなくというか、誰であろうと話すところ、
言わない人よりも、言ってくれる人は貴重だと思うが、言い方次第だと思う、

最近、昼寝をしても、ずっと眠い、
午後には母と喧嘩し、家を出たりした、
さすがに、ヒステリックに騒がれると色々とキレた、
数時間ほど家から出ていった、

いつもそうだ、私が前を向くとこんなことばかり起きてきてしまう、
カウンセリング的に言えば、神様が試練を与えて試しているという考え方らしい、
父は酒を飲んで、昼間から泥酔している、これは父と母のことだと割りきれない、
昔から、両親やお世話になっている人に選択肢を認められないと上手くいかないと思っているふしがある、色々なことに疲れた

春画展

夜行バスに乗って、東京まで行ってきた、
池袋で降りて、ご飯を食べて、歩いて春画展を見にイってきた、見にイきたいと思っていたが、思えば叶うのですね、春画展は混雑していて人に酔った、それから、目白から高田馬場駅まで歩いた、
面接では、私がしていた仕事を知っている人がいた、それで前の職場のことを少しだけ話して、不満のようなことを口にしてしまった、また、次の求人を見てみよう、
そして、なんだか宮城から離れると思うとすごく不安になって泣き出しそうになった、

夜行バスで東京から帰ると、母に東京じゃないとダメなのかと言われた、
そういうわけではないと話すと、背伸びして東京にいくよりも、宮城で探したほうがいいのではないかと話してきた、
確かにそれは思うが、母は私が宮城にいてほしいと思っているようにしか見えない、
私は、それにいつも縛り付けられる、母や家族に賛成されないと、上手くいかないみたいなジンクスを勝手に自分の中で作って、それに沿って行動してきた、

ある人が言っていた、マイナス思考の人からは離れたほうがいいと、
その人に質問したい、それが母でも離れたほうがいいのですか、と、
私が実家というか、家族が大切だと思っているけど、
それがなくなった後を考えると、自分も親離れしていかないとと思う、

いきつけのお店に行ってきた、
大学時代から通っている床屋で、顔そりをする、
そこのおかみさんと色々話した、おかみさんの子供は二人いて、下の子が中高一貫校に通っていてPTAをやっていたらしい、その時に意見をばんばん言っていたら、見るからに教育ママみたいな人が、「あなたの職は何」と言ってきて、床屋とこたえたら、床屋にしてはよくしゃべるわね、と言われたらしい、
そこで、おかみさんはこう話していた「私、床屋として誇りがあるの、床屋しかできないし、できないと食べていけないでしょ、だけど、これだけは言える、その教育ママよりは自立していて幸せだわ、あの教育ママはどうなっているのかしら」、
そしてまた続けて「私、自分が幸せだと思えて死ねたらいいの、死ぬときに幸せな人生だったと思えたらそれでいいの」、その言葉がずしりと鈍いボディーブローのように私を打った、きっと人の評価とかまだすごく気にしているんだという証拠だった、
どんな仕事でもプロ意識をもっていれば誰かが見ていてくれるのかな、帰り際に「面接がんばれ、もしダメでも、そことは縁がなかったんだわ、見るめがないわ、と思って頑張ってね」と言われた、なんだか元気がでた、

まずは、親離れしないとな、
早く起きないと

春画展

夜行バスに乗って、東京まで行ってきた、
池袋で降りて、ご飯を食べて、歩いて春画展を見にイってきた、見にイきたいと思っていたが、思えば叶うのですね、春画展は混雑していて人に酔った、それから、目白から高田馬場駅まで歩いた、
面接では、私がしていた仕事を知っている人がいた、それで前の職場のことを少しだけ話して、不満のようなことを口にしてしまった、また、次の求人を見てみよう、
そして、なんだか宮城から離れると思うとすごく不安になって泣き出しそうになった、

夜行バスで東京から帰ると、母に東京じゃないとダメなのかと言われた、
そういうわけではないと話すと、背伸びして東京にいくよりも、宮城で探したほうがいいのではないかと話してきた、
確かにそれは思うが、母は私が宮城にいてほしいと思っているようにしか見えない、
私は、それにいつも縛り付けられる、母や家族に賛成されないと、上手くいかないみたいなジンクスを勝手に自分の中で作って、それに沿って行動してきた、

ある人が言っていた、マイナス思考の人からは離れたほうがいいと、
その人に質問したい、それが母でも離れたほうがいいのですか、と、
私が実家というか、家族が大切だと思っているけど、
それがなくなった後を考えると、自分も親離れしていかないとと思う、

いきつけのお店に行ってきた、
大学時代から通っている床屋で、顔そりをする、
そこのおかみさんと色々話した、おかみさんの子供は二人いて、下の子が中高一貫校に通っていてPTAをやっていたらしい、その時に意見をばんばん言っていたら、見るからに教育ママみたいな人が、「あなたの職は何」と言ってきて、床屋とこたえたら、床屋にしてはよくしゃべるわね、と言われたらしい、
そこで、おかみさんはこう話していた「私、床屋として誇りがあるの、床屋しかできないし、できないと食べていけないでしょ、だけど、これだけは言える、その教育ママよりは自立していて幸せだわ、あの教育ママはどうなっているのかしら」、
そしてまた続けて「私、自分が幸せだと思えて死ねたらいいの、死ぬときに幸せな人生だったと思えたらそれでいいの」、その言葉がずしりと鈍いボディーブローのように私を打った、きっと人の評価とかまだすごく気にしているんだという証拠だった、
どんな仕事でもプロ意識をもっていれば誰かが見ていてくれるのかな、帰り際に「面接がんばれ、もしダメでも、そことは縁がなかったんだわ、見るめがないわ、と思って頑張ってね」と言われた、なんだか元気がでた、

まずは、親離れしないとな、
早く起きないと

震えがとまらない

ある会社の書類選考を通過し、先方が今月の10日までには決めたいとのことで、急遽、今週の土日に東京に行く、
書類審査を通過するとは思ってもいなかったし、こんなに急に面接が入るとは思ってもいなかった、
今でも震えが止まらない、面接が怖くて仕方ないし、もしその会社に決まったら、ホームシックにならないかとか、自分は親元を離れてまたちゃんと生活していけるのだろうかという不安がずしりとのしかかる、
その会社はベンチャー企業で、できてまだ四年という会社、ビジネスマナーとかよくわからないままま入っていいのだろうかという不安もあるし、どこに行っても同じだが前の職場みたいに主体性をもって取り組むことをしないといけないのだろうかとか、失敗したらどうしようという気持ちが大きい、

就労支援施設の人に、書類が通過したことを話した、
みんな驚いていた、
色々な書類などを書いたりしながら、準備をすすめた、
なんかね、怖いんだよね、前みたいになるのが、っていうのがわかったのか、職員の人に色々なことを突っ込まれた、

また別な団体の職員の人に、同じ事を話したら、四月のあの状態からここまできて、こうなったことが嬉しいですと話していた、
しかし、前の職場を引きずっていると思われたみたいで、前の職場のパズルさんではなく、新しい職場のパズルさんなんですよと言われた、そして、やっと巡ってきたチャンスをものにしないでどうするのと言われた、四月の時点では、何も考えられなくて、行動できなかった私をみていたからこそ、言える言葉だと感じた、
五年、十年先にどうなっていたいかを目標をたてるといいですよと言われた、
やっぱり、私は色々な人に支えられていたんだと尽くす思った、

今回の面接は、自分もすごく興味のある事業をしている会社だから応募したんだけど、また前の職場みたいなことになったらと思うと怖くてたまらない、
仕事内容については、様々なことを経験できるみたいだ、
昇給が年に四回あるのが謎だけど、ボーナスも出るらしい、
ダメもとで、受けてみようかなって感じでやってみよう、

本当は、何も考えないほうがいい、
言われた質問に、丁寧に応えることが一番重要だと感じる、
いつも通りでやれば、大丈夫、面接の練習とかあんまりしていないけど、大丈夫、
少しだけ、こんな感じで弱音を吐きたい、

悔いが残らないように面接をするだけだ、
応援してくれた人々のためにも、それだけはちゃんとやろう、
あとは、天しかしらない、
行動すれば、結果はついてくる、一生懸命にやれば誰かが見てくれているって信じよう、

おーい、東京、
大学生の私を受け入れてくれた懐の大きな街、冷徹で寂しい街でもあるけど、もう一度私が生まれ変われた街、
私また、生まれ変われるかな、
待ってろ、東京

心にゆとりを

父と私と母が昼過ぎに家にいて、妹が早く帰って来た、
その時に、妹はため息をついて、ずっと私と父を睨んでいた、
それを母に話したところ、母は妹に聞いたらしい、
妹は嫌いとかじゃなくて、いるはずのない時間に父と私がいたことでため息が出たとのこと、これは私も経験がある、

大学在学中に、父の会社が傾いたために早期退職を募集し、父はそれに乗った、
母は、父が会社をやめたことを電話してきて知った、
その後、父はアル中に拍車がかかり、体はぼろぼろになり、奨学金の手続きのために取り寄せた父の源泉徴収を見て、愕然とした、私がアルバイトで働いている源泉徴収よりも少なく、ため息がでた、先程の妹と同じ気持ちだった、
大学の学生生活課には、父の職業を書類に書く欄に何も書けなかった、こんな苦学生だったため、四年間、大学独自の奨学金をもらい、生活をしていた、

そして、元カレのお姉さんのことを思い出した、
元カレのお姉さんが、金銭トラブルを抱えて、元カレが大学に行けなくなった話を聞いて、お姉さんとは親戚になれないだろうと感じ、元カレと別れた、
元カレは、仕方ないだろうとしか言わなかった、
今になって、自分が元カレのお姉さんと元カレにしてきたことが返っていると感じた、

お金がないのに、心にゆとりをもつことも許されない、
いっそのこと、殴りに行こうか、
ああ、私はダメ人間だ、ダメなりに考えていくしかないんだろうな、
お金があっても、心に余裕がない人もいる、お金がないってだけで心が荒む、これは、私たち人間がお金に支配されているだけなんだ、お金にコントロールされない生き方はきっと素敵だけど、現実的ではないと思う、お金って心は豊かにできるけど、お金で人も殺せる、お金は怖い