バイト先で同じ部門の大学生の男の子が、今月で辞めるらしい、それを先輩から聞いて驚いたが、さらに驚いたことに、大学を辞めていたらしい、そして、さらに驚いたことに、バイトを辞めて漁師になるらしい、先輩いわく、大学を辞めたんだから就職をなんとかしろと親に言われて、漁師になったらしいとのこと、先輩に何度も、漁師ですか、と言ってしまった、いつもカウンセリングに行くときに、前日から仙台の友達のところに宿泊する、いつも家族とばかりいるので窮屈になってしまうため、この友達といる時間はすごく大切な時間だ、引きこもり時代からの仲で、八木山動物園に連れていってくれたり、動画を見たりして笑いあっていた、その友達は、私が病院で仙台に来ていると言っていて、カウンセリングを受けているとは言っていない、多分、友達は私が精神的な病院に行っていることはうすうす分かっていると思う、今思うと、一番つらかった時期にその友達がいなかったらと考えるだけで恐ろしい、その友達は、すごく優秀で、某大学の大学院で理系の学部で学んでいる、一緒に調味料とか買いにいっても、調味料の量と値段をみて、どちらがお得かを暗算で算出する、そんな友達かバイト帰りに、連絡がきた、「仙台を離れることになりそうです」、よくよく話を聞いてみると、友達は博士をとる予定だったが、大学院で修士を取得できないらしく、中退することになる、そのため、関東の研究室で修士がとれるように勉強するか、実家に戻って両親がすすめた税理士を専門学校に通いながら取得するか選ばないといけない状態らしい、教授には能力的には研究室に行っても大丈夫と言ってもらえているが、研究には未練がないとのことだった、私はその友達はてっきり、博士をとってエリートコースをいくのもと思っていた、いいな、君の将来は明るいんだろうなと思って友達を見ていた、しかし、人生はいとも簡単にこうも違ってくるのかという驚きを隠せなかった、本当に人生何があるか分からない、自分が何をしたいのかわからないと友達は言っていた、それは、まるで一年前の私を見ているようだった、それから、私が簿記の資格を持っているので友達は色々と聞いてきた、私もできるかぎり知っている知識を話した、それから、専門学校に行って説明を聞いてきたことなどを聞いた、専門学校では簿記の経験がない友達は税理士は2年以上かかると思っているらしい、それで友達は、就職について心配しはじめた、もう既卒で終わっているとか言い出した、そんで、私が、それなら私は終わりまくっているよと話した、上記に出てきた大学中退の漁師に謝れよと思った、それで友達には、会計事務所で働きながら税理士を目指せばいいんじゃないのと話してみた、なぜなら友達は社会人経験がない、それなら、働きながら実務を積んでみたらと話した、それから、この日記を読んでくれている人だったら感動するかもしれない珍しく前向きな言葉を発していった、本当、この会話のタイムラインで日記をかけるくらいの内容だと思う、それは大袈裟だな、自分に対して言い聞かせているふしもあったんだと思う、その友達と話していて、ここの日記にコメントをくれる方々の気持ちが分かった、「なんとかなるって思わないといけないときって人生に何度もあるよ」と話していた、大学時代、友達の家が三軒茶屋にあってそこにほぼ居候していた、その友達が鬱で、実家に帰ることになりご丁寧に片付けた写メを送ってきた、それをみたとき、心にぽっかりと穴がないたような気持ちになった、これで学生時代が終わったと感じた、思い出のつまった部屋が空っぽになってしまって、泣きそうになったのを覚えている、その友達もどちらの道を選んでも仙台から離れる、それは本当に寂しくなる、もう友達は二度と仙台には戻ってこないかもしれない、そして、あの部屋から引き払う、今回はモラトリアムの終わりを感じた、いつものカウンセリングでいうところの、天は言葉を持たないので、行動でしめす、多分、天はもう、この暖かだけど冷たい時間をそろそろ終わりにしないと取り残すと言っているんだろう、やっぱり、動かないといけない、世界がそれを待ちわびているわ、と思っておこう、それでも世界はまわっているわと誰かが言う、まわる世界の温度と景色はどうなのかい、と聞いてみよう、今夜は、寂しくて悲しいことがあった、なぜだかすっきりしている自分がいた、そしてうっすらと光が少し見えた