安心の柱

先日、カウンセリングに行ってきた、
高校時代の友人を許せたこと等を話せた、
カウンセラーの方は、人生をよくするために必要なことだと話していた、
高校時代の友人を許せたことで、少しだけ自信が出てきた気がする、

あと、良いことの次は嫌なことがあること、誰かに優しくされるとすごく疑ってしまうことがあることも話せた、
良いことの次が嫌なことがあることは、そう信じているから起きてしまう、だから、安心の柱を建てろと言われた、これは、常に大丈夫と思っていることで数ヵ月後には大丈夫が実現していることを指している、
誰かに優しくされるとすごく疑ってしまうことがあることは、それは母が影響しているみたいで、優しくされると借りを作ってしまったと思い込んでしまうということも無意識のうちにあるのではと話された、

今私が学びとれることや求められていることを考えてみようと言われた、
で、ここのコメントにもあったモラトリアムからの脱却ではないかと話したら、それに必要なことはなんですか、と聞かれた、
モラトリアムからの脱却って具体的にはなんだろう、
難しい、

大学1年生のときに、人が怖くて仕方なかった、
電車に乗る前に、メールの保存機能をいかして、
「大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫」とうったことを思い出した、
あれは無意識に、安心の柱を立てていたんだなと思った、
今でもたまにそのメールを見たりする、

まわりの人に優しい言葉をかけてもらうと、すごく不安になることがある、
あなたの尺度での話でしょ、世間はどうなのよと思うからだ、
裏にあるのは、優しさが終わってしまうことへの恐れだ、
自分が優しくしていて、そう思われたら嫌なのに