不幸自慢

母は、私にいつか小説家になると言って育てた、
そんな私は、いつしか物書きに憧れ、ノートに詩などを書いて地元の新聞のコーナーに送って掲載されたりしていた、
ぎっしりとノートに書かれた文字を見て、これお前が書いたのかすげーな、と目を丸くする男子もいた、
それが快感だったし、人一倍強い承認欲求を満たしてくれた、

国語の授業はあまり好きではなかった、
文法は嫌いだ、日本語をカテゴライズすることがすごく違和感があるからだ、
あと、小説を読んでその人の気持ちを考えるとかいう問題も嫌だ、そんなの人それぞれだと思う、
美しい女の遺体を解剖するようなものだ、

作文を書くのは得意だった、就職試験で作文のあるところでは必ず受かっていた、
小学生の頃には俳句を習ったりして、実際に書こうという授業でみんなの前でほめられた、
社会に出ると、そんなスキルではなく分かりやすい文章を求められた、
直しても直しても、赤ペンで直されたし、スキル不足と言われた、

一時期、書くことが怖くなったり、書くことが嫌になったりしたけど、
こうして好きなことを書いている、
好きなことだから、生きることの一部だから続けている、
ベストなのは、エッセイとかかいてそれが大衆にうけて、私のかいた文章が受け入れられることだ、

文章を書く人間は、少なからず変わっている、変わっているから文章がかけると言ったほうがいいのか、
文章を書く人を意識して歩んできたから、当然色々とあった、
だけどね、いい文章を書くには悲しさや傷を抱えていたり、とにかく飢えていないといけない、
本能的に、私は飢えていないといけないと思い、辛い道を歩んできた、そして不幸自慢をしながら言葉を紡ぐ、人はこうなりたいと思った方向に無意識に進むというが、それはまったくその通りだと思った、

カウンセラーの方に、あなたは防衛本能として先手を打つかのように、違う話をしていても自分の話にしてしまうと言われた、
それは誰かにあなたはこういう人間と言われるのが怖いからこうしていると説明を受けた、
それはなぜ起きるのかというと、自分が自立できていないから、
こういう人間と言われても、中では私はこうだめんと思うことができていないと言われた、

武井壮がテレビで、デコトラの人に話を聞いていた、
武井壮は、自分の筋肉をデコトラと同じもので、自分の選んだ道を誇りをもっていると話していた、
そういう仕事って中々ない、
巡り会えるといいんだけど、

自分の方向性にずっと悩んでいる、
やりたいこともない、
だけど前みたいに、それでは終わらない、
ちゃんと色々と見てみよう