カウンセリングに行った、そこでは、色々な話をした、カウンセラーの方に言われたのは、あなたは就職の話になるとがちがちになってしまうということ、確かにいまのバイト先はお金を得るためだけに決めた、それから、方向性などを決めたら流れに身を任せてみるのもいいですよ、気楽にみたいなことも言われた、ここの日記も気楽にはじめてみたが、今ではみてくださっている人がいる、これはありがたいことだ、最近、日記を読んでくれていた人にも変化があった、誰もログインしなくなってきた、それで一人のフォロワーさんがいなくなった、日記を書く気持ちにもなかった、それは寂しいことだけど、喜ばしいことなのだろうか、ここはそんなとこだ、それが本来あるべき姿なのかもしれない、深夜のドキュメンタリーを見た、ドキュメンタリーでは、震災絡みのやつで、陸前高田のポストのお話だった、震災で行方不明になっている人に向けて、手紙を書いている人々は、それによっていかされていた、そのドキュメンタリーを見ていて、ここの日記のようだと思った、ここの日記は大半は過去のことだ、私も約一年前から時間が止まったまま、ドキュメンタリーに出ていた人も五年前から時間が止まっている、私は地元が嫌いだ、被災地になってさらに嫌いになった、だって、被災している人が被害者ぶっているんだもの、全てをなくした、津波のせいでとか言っていて、一向に動こうとはせずに行政やボランティアの人に不満をぶつけていて、外から復興支援にきた人には私たちは震災を経験しているという変なプライドをもっている、それを見ていて、私はとても残念な気持ちになったし、そんなプライドしかもてない市民に対して恥ずかしくなった、その様は、私のようだと感じた、前の会社の不満を吐き、前の会社が悪いんだと不平を言い、前の会社のような厳しいとこでやってきたから大丈夫だという変なプライド、まるで、市民の悪いところを全てコピペしたような存在だ、死んでしまえばいい、今夜も寒い、もう、春の足音が聞こえる